摠見寺裏門 (超光寺山門)
2010-01-02 18:53:35 | 門
江戸時代の摠見寺裏門は現在、超光寺の山門になっている。
この門については、摠見寺跡の発掘調査によって、摠見寺の裏門の礎石と
柱位置が一致し、たしかに摠見寺からの移築であると、証明されたのだが。
寛政3年9月に書かれた「境内坪数並建物明細書」の記録と若干違いがある。
とい ...
信長150回忌法要その2
2009-05-08 22:27:59 | 資料
享保16(1731)年の信長150回忌法要について、
記録の動きから式次第を作ってみました。
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予定変更
5月5日から摠見寺拝観のため、
安土城へ行く予定だったのだが、
雨だったので、予定変更して、
先月コピーしてきた
信長の150回忌法要の資料をUPしました。
図や解説はまた後で。
信長150回忌法要
摠見寺殿一百五十年諱法會當日式
六月二日、辰の刻、
一番大鐘(だいしょう)、大衆(だいしゅ)衣を整う。
二番殿鐘(でんしょう)、大衆出頭。
衆集いて殿鐘を上げむ、
両序(りょうじょ)立班(りつはん)、大衆同じく立つ。
拈香(ねんこう)和尚に告報(こくほう)す、
和尚、侍衣(じえ)侍香(じこう)聴呼(ちょうこ)を相(あい)随( ...
信長所縁 本堂を初公開 安土の摠見寺、今日から日・祝に(京都新聞2009-04-05)
京都新聞の記事を転載
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織田信長が創建し安土城跡に残る摠 ...
安土町史
現在、安土町史を読んでいるところなのですが、
安土町史の編纂事業は、昭和58(1983)年と60(1985)年に、
資料編1と2が出版されたのみで終わってしまったようです。
摠見寺の資料も調査されたのは一部であって、
存在しているはずの、信長の年回法要の記録は、
刊行された安土町史には載っていませんでした。
蒲生郡志あたりにはのってるの ...
摠見寺の信長の木像
泰巖宗安記という、信長についていろいろ考察をされている方のブログに、
現存する織田信長の木像の資料が掲載されていて、
その中の摠見寺の項目に、
>3.総見寺 滋賀県 束帯 施主不明 旧本堂の御霊屋に安置されていた。
>本堂の火事の際、被災を免れる。
とありました。
旧摠見寺本堂内部に安置されていた物は、
嘉永7年11月16日の ...
滋賀県史跡調査報告11
都立図書館に行く予定と書いてから半年・・・
やっと滋賀県史跡調査報告11のコピーを取ってきました。
やはり摠見寺創建時の楼門扁額は、
別のものが掛かっていたようだ。
と、扁額については解決したのだが、
また本堂内部について新たな難問が・・・。
ちょっと問題が手に余るので、詳細はまた後日。
画像は今日の富士山、
天 ...
摠見寺の扁額 その2
12月の記事摠見寺の扁額 その1 の続編。
摠見寺には、江戸時代の校割帳に載っていない扁額があって、
それが、写真上記の、額面に「扶桑第一山」と書かれた物です。
この扁額は形状から言って、
楼門に懸けられていたものと推測でき、また
現存するのに校割帳に書かれていないということは、
人の立ち入らない楼門内に保管され、忘れ去られていたと考え ...
木魚が無い!!!
現在本堂の内部構造を考察中で、
摠見寺文書の中の「遠景山見禅寺校割帳」などにより、
本堂内部に置かれた物を調べているのだが、
それによると、江戸時代(1745年)の摠見寺本堂には、
木魚が無い!!!
磬と鈴(この読みは”りん”だと思われる、別名磬子)はあるのに、
お寺の本堂に、当然あるべきはずの木魚が無いの ...