本堂平面 外側柱
発掘調査報告書によると、本堂の外柱は、
桁行、梁行共に、八尺等間であると書いてあるのですが、
図を見ると、桁行は八尺等間で五間に違いないが、
梁行方向は、どう見ても等間では無い!
南側から三間目は他より広く、五間目は他より狭いのは明らかなので、
どういう根拠で、八尺等間であると書いたのか?不思議です。
外側の柱の配置だけ見ると、国宝明王院本堂の配置とほぼ同じで、
桁行は等間で、梁行が正面から二間が等間、三間目がいちばん幅広で、
奥に向かってだんだん狭くなる形態であると考えられます。
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