考察

摠見寺本堂の元になったと思われる、鎌倉~室町期の中世密教本堂では、
支割による単位寸法が使われているのが普通なので、
摠見寺の一支寸法を考えてみます。

まずは、一支寸法の範囲ですが、
南明寺の8寸から禅宗寺院系?の4寸ほどまであるうち、
中世密教本堂では主に、5~7寸辺りが使われる事が多いようです。

また、ほとんどの場合において、正面中 ...

考察

摠見寺本堂の基本となる尺度ですが、

発掘調査報告書の本堂図面をスキャナーで取り込んで、
縮尺を合わせて見ると・・・。

記録によると、正面柱間は40尺で八尺等間のはずだが、
少し礎石の間隔が広い気がする・・・。

礎石間隔からすると、外陣の5X2間の部分は、
どう考えても、柱間が八尺で統一されているはずだが、
八尺等間にすると、 ...

復元案

ということで、これまでの考察を元に、
創建時の尊像配置復元案を 概略図にまとめてみました。

建物の復元は、この尊像配置を基準にして行っていきます。

考察

信長のいたころの摠見寺の住職は、

津島牛頭天王社の尭照宝印で、真言宗の僧侶だった
とされているので、
創建当時の摠見寺には、
どこかに牛頭天王が祀られていなければおかしい。

牛頭天王を真言僧が祀れば、当然、護摩を修していたはずですが、

摠見寺の本堂は来迎壁を後退させて狭くなっていたので、
後堂に仏像を祀る事は出来ないし、 ...

考察

藤巻一保著の「第六天魔王信長」によると、

信長が個人的に信仰していた神は、起請文の記述から、
天満大自在天神・愛宕・白山權現 だと考えられるようです。

天満大自在天神は菅原道真に当てるのが一般的ですが、
仏典によると、大自在天とは第六天魔王の事なので、
信長が第六天魔王を称していた以上、
天満大自在天神=信長=盆山 ともする事が出来、 ...

雑記

7月の記事に、滋賀県史跡調査報告11のコピーを取りに、
と書いてあるのだが、未だに行けてない・・・。

9月中にはなんとか時間を作って、と思ったら、
三連休は別件の用事で埋まってしまったりして、
9/20の土曜日に期待しようか・・・?