摠見寺の扁額 その2

12月の記事摠見寺の扁額 その1 の続編。

摠見寺には、江戸時代の校割帳に載っていない扁額があって、
それが、写真上記の、額面に「扶桑第一山」と書かれた物です。

この扁額は形状から言って、
楼門に懸けられていたものと推測でき、また
現存するのに校割帳に書かれていないということは、
人の立ち入らない楼門内に保管され、忘れ去られていたと考えられます。

江戸時代の校割帳では、楼門には写真下の、建部伝内筆、
「遠景山 下漫々 捴見寺」(“そう”は手偏に総の旁)
の扁額が掛かっていたとされているので、
もともと掛けられていた「扶桑第一山」を外して、
「遠景山・・・」の扁額に変えられたわけで、

さらに、建部伝内は信長の時代の人なので、
「遠景山・・・」の扁額は信長の時代に作られたもので、
摠見寺の創建時には、楼門以外の建物に
掛けられていたということになります。

では、楼門以外の建物というと、一般的に言って、
表門か本堂のどちらかになるのですが、
本堂の「圓通閣」の額が、江戸時代に作られたもので、
「遠景山・・・」の額を「圓通閣」に変えた可能性が高く、

摠見寺の創建時の扁額は、
楼門に「扶桑第一山」
本堂に「遠景山 下漫々 捴見寺」
が、掛けられていたと考えます。

資料

Posted by 淳也