摠見寺の本尊2 一字金輪仏頂尊

江戸時代の摠見寺の記録によると、

本堂に安置されている本尊は、十一面觀音で、
脇侍に文珠菩薩・普賢菩薩が配されていたとか、

基本的には、文珠菩薩・普賢菩薩は釈迦如来の脇侍である上に、
菩薩の脇侍に菩薩が安置されるというのは非常におかしい、

でも、このように安置されていた以上、
安置した人は、この形態でもOKだと思っていたわけで、
十一面觀音の脇に文珠菩薩・普賢菩薩があっても
おかしくない配置はどうなのかというと・・・・。

江戸時代の記録には、三重塔に大日如来がいた事になっている、
が、この三重塔の仏像が、金剛界の大日如来に形が非常に良く似ている
「一字金輪仏頂尊」(大日金輪)、であり、
元は本堂に安置されていたとすると、この問題が解決します。

密教本堂では通常の場合、
本尊は内陣中央の厨子か宮殿に納められています、

内陣中央の宮殿内に、本尊の一字金輪仏頂尊を安置して、
宮殿外に、脇侍の騎獅子文珠菩薩・騎象普賢菩薩を配し、
宮殿の前立本尊として、
頭頂部の如来相に仏眼仏母を頂いた、十一面觀世音菩薩を安置した上で、

須彌壇前に、多宝塔を中央に置いた大壇を荘厳すれば、
一字金輪法のお膳立てが整います。

寺伝によれば、創建時の住職である尭照は
尾張にある天王坊の尭照法印で真言宗の僧侶、
とされているので、一字金輪法を修してもおかしくは無く、

信長の死後、
秀吉に住職に任ぜられた正仲剛可は元相国寺の僧であり、
これは当然の事ながら、臨済宗の僧侶なので、
一字金輪法を修するのは無理な上に、
そもそも一字金輪仏頂尊を知っていたかどうかもアヤシイ!、

ということで、
摠見寺の住職になった正仲剛可が、
智拳印を結んでいるから大日如来ではないか?、
といった程度の理解しかない状況で、
本尊の一字金輪仏頂尊を、自分の手に負えない仏像なので、
本堂から三重塔に移して、

残った前立本尊の、十一面觀世音菩薩を本尊として、
脇侍はそのまま、騎獅子文珠菩薩・騎象普賢菩薩にしたために、

このようにおかしな仏像の配置が出来上がったのだと考えられます。

考察

Posted by 淳也