大光寺の鐘
大阪の吹田市にある大光寺の鐘は、
明治時代に安土城にある 摠見寺 から売られたもので、
梵鐘の由来を記した掲額によると、
寛永二十年十月に飯田加衛門入道宗運が鋳造。
大きさは高さ5尺、口径2尺9寸、
とされているのですが、
摠見寺と、超光寺の鐘銘からして、
この鐘は天保二年に作ったものと考えられるので、
大阪に行ったついでに大光寺の鐘を見てきました。
口径2尺9寸ということは、現在の摠見寺の鐘よりも大きいので、
それだけでも天保二年の鐘だとわかるのですが、
鐘の下部の駒ノ爪の張り出しが大きいのも、新しい傾向を示しています。
非常に珍しいのが、
鐘の突き座が、縦帯と中帯の交点より下に、
別に設けられていることで、
どうしてこのようになったのか理由を考えてみると、
江戸末期の鐘にしては、中帯の位置が高すぎで、
乳の数が三段四列の48ヶと、鐘の大きさの割に少ない事から、
この鐘の作者は、
奈良~平安時代頃のデザインで鐘を作りたかったのだが、
古代の鐘のように撞座の位置を高くすると、
音の響きが悪くなる事を知っていたので、
撞座を縦帯と中帯の交点より下に別に作ったと考えられ、
もしかすると、信長の先祖の出身地とされる、
織田剣神社の梵鐘を模して作ったのかも。
その辺りはまた別の問題ですが、
とりあえず
摠見寺の鐘は、
寛永二十年鋳造の鐘が安土の摠見寺に、
天保二年鋳造の鐘が吹田の大光寺にあることがわかりました。
ということで、創建時の鐘はいまだ行方不明です。
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