縁側、その2
摠見寺の記録には、
5尺の縁側があったことになっているのだが、
調査報告の図を見ても、
縁側があったようにはとても思えない。
だいたい、
北側の縁束の礎石は全て残っているのに、
それ以外の縁束の礎石が全て紛失するとは思えないし…。
という所で、2008-05-22の考察が止まっていたので、その続き。
文化二(18 ...
一枝寸法の再考
寛政三年の「境内坪数並建物明細書」によると、
摠見寺本堂の屋根は出組と書かれています。
「匠明」の木割では、
出組の軒の出は地垂木の出7支、飛檐垂木5支となっていて、
垂木本数でいうと丸桁から地垂木6本、飛檐垂木5本で
軒を構成することになっています。
実際の類例を見ても、出組の五間堂の場合、
地垂木6本、飛檐垂木5本が一般的の ...
本堂一階、軒の出に関して
「特別史跡安土城跡発掘調査報告6」によると、P17
建物8(書院跡)の入口に当たるL字型の花崗岩切石の前面に、
南北方向に向かって伸びる瓦敷きの遺構があり、
建物8(書院)への導入路になっている。
と、されているのですが、
寛政三年の「境内坪数並建物明細書」には、
書院には式台があって、入口には明き五尺一寸の玄関門が建っている、 ...
三間堂を五間堂に増築
昭和49年発行の「滋賀県史跡調査報告11」の中に、
摠見寺本堂跡の実測図があり、
その図では、本堂梁行中央間は、
内陣梁間にあわせて外側の柱間も9.25尺になっています。
この柱間寸法の復元数値は、
「特別史跡安土城跡発掘調査報告6」の、
まとめの部分でも踏襲されているので、
「特別史跡安土城跡発掘調査報告6」P86 ...