二間四面
摠見寺本堂二階の大きさの記録には、
二間四面と書かれている・・・?
江戸時代には、間面記法は正しく理解されていなかったのだから、
この二間四面とは、間面記法の二間四面では無いことは確かなのだが、
絵図に書かれる摠見寺本堂二階は、明らかに三間四方で、
三間四方をどう見れば、二間四面と言えるのだろうか?
と思ったら、三重塔も二間四面だそうだ。
摠見寺三重塔は、三間四方の外観だが、
内部前面の四天柱が省略されて、来迎柱のみとなっており、
内部の梁間は二間と言えない事も無い事から、
内部の梁間の二間と三間四方を合わせて
「二間四面」になったのだと考えると。
本堂二階も、通常の禅宗仏殿のように、
前面の四天柱が省略され来迎柱のみで、
梁間が二間のように見えるから「二間四面」なのではないかと考えます。
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