来迎柱の後退
摠見寺の平面図を見て、一見して違いがわかるのが来迎柱の後退で、
室町時代になると、来迎柱が後退して内陣を広く取った堂が出てくるのだが、
普通は中央の二本のみ後退させて、両側は通常の位置に立たせるのに、
摠見寺の平面では、来迎柱が四本とも後退していて、非常に珍しい、
何か類例を探す必要がありそうです。
安土城にある、安政元(1854)年に焼失した 摠見寺(そうけんじ) の復元案を作成する プロジェクト日記
摠見寺の平面図を見て、一見して違いがわかるのが来迎柱の後退で、
室町時代になると、来迎柱が後退して内陣を広く取った堂が出てくるのだが、
普通は中央の二本のみ後退させて、両側は通常の位置に立たせるのに、
摠見寺の平面では、来迎柱が四本とも後退していて、非常に珍しい、
何か類例を探す必要がありそうです。
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