牛頭天王は何処に・・
信長のいたころの摠見寺の住職は、
津島牛頭天王社の尭照宝印で、真言宗の僧侶だった
とされているので、
創建当時の摠見寺には、
どこかに牛頭天王が祀られていなければおかしい。
牛頭天王を真言僧が祀れば、当然、護摩を修していたはずですが、
摠見寺の本堂は来迎壁を後退させて狭くなっていたので、
後堂に仏像を祀る事は出来ないし、
脇壇では護摩を焚くには場所が少し狭すぎる。
発掘調査報告6には、手がかりになりそうな記事は無かったので、
他の資料を探してみていたら、
「滋賀県中世城郭分布調査4」の付図にヒントがあった。
摠見寺三重塔の南側、斜面を高さ5mほど下がった所に、
江戸時代に柴小屋として使われていた一角があります。
廃城後にわざわざ石垣を築いて郭を作るはずも無いので、
この一角は、摠見寺の創建時に作られたと考えられ、
摠見寺とのみ繋がっていて、摠見寺境内から少し離れた場所にある郭は、
昼間から調伏の祈祷をしていても、誰も気が付かない位置にあると言えます。
ということで、
この、江戸時代に柴小屋のあった所に、
牛頭天王を安置する護摩堂があったのではないでしょうか。
それに、この位置で護摩を焚いたとすれば、
三重塔には、来迎壁に金剛界の大日如来、
須彌壇に不動明王が安置されていたと考えられるので、
牛頭天王に向って護摩を焚きながら、
その奥に、不動明王と大日如来を観想できる、
護摩祈祷には絶好の位置にあると考えられます。
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