縁側
摠見寺の記録には、
5尺の縁側があったことになっているのだが、
調査報告の図を見ても、
縁側があったようにはとても思えない。
だいたい、
北側の縁束の礎石は全て残っているのに、
それ以外の縁束の礎石が全て紛失するとは思えないし、
縁側として一段高くなっていると、
正面の石段との取り合いも悪いのではないか。
床があって縁側が無い建物の類例を、探してみる事に・・・。
安土城にある、安政元(1854)年に焼失した 摠見寺(そうけんじ) の復元案を作成する プロジェクト日記
摠見寺の記録には、
5尺の縁側があったことになっているのだが、
調査報告の図を見ても、
縁側があったようにはとても思えない。
だいたい、
北側の縁束の礎石は全て残っているのに、
それ以外の縁束の礎石が全て紛失するとは思えないし、
縁側として一段高くなっていると、
正面の石段との取り合いも悪いのではないか。
床があって縁側が無い建物の類例を、探してみる事に・・・。
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